テーマ:いじめをみているだけは、いじめかな?
2022/8/10
岐阜チャンネルのハッピーサンデー 日曜日 8:30~8:45 の番組でお話しさせていただきました。
あるお母さんから、次のようなご相談がありました。
娘の友達に、仲間外れにされている子がいます。娘はその子のことを嫌いではないので普通に接しようとしているのですが、それによって自分が仲間外れにされるのではないかと悩んでいます。“いじめっ子”ではない、周囲の子はどのように対応するのが正解なのでしょうか。(小学5年娘の母)
どうしたらいいのでしょう?
いじめが起こった時に生まれるのが、4つの構造です。被害者(いじめられている子)・加害者(いじめている子)・いじめをはやし立てる観衆・何もしない(できない)傍観者なんですね。ご相談のように、自分が仲間外れになるのが怖くて、見ているだけというケースは多いいですね。
いじめが起こった時、傍観者といわれる周りの子どもたちはどのような対応をしているのでしょうか。
学校で起きたいじめは、教師が解決するというのが前提です。けれど、学年が上がるにつれて、しかし「先生に知らせる」子の割合は、年齢が上がるにつれ下降しています。教師ではなく「友達に相談する」子は多いものの、「特になにもしない」という子も年齢とともに多くなる傾向にあります。
(出典:厚生労働省の「平成21年度 全国家庭児童調査」 )
傍観者になる傾向が年齢とともに、高くなるということですが、それはなぜなのでしょう?
傍観者には、無関心なタイプと行動できないタイプの二つのタイプがあります。無関心なタイプは周りの人間関係や出来事に関心がない子ども。周りでどんなにひどいことが行われていても、「自分には関係がない」と感じるタイプですね
行動できないタイプは、ご相談のお子さんのように「いじめは良くない」「何とかしたい」という正義感はあるけれど「次は自分がいじめられるかもしれない」といった葛藤がありどう行動すべきか分からない子どもたちです。
傍観者は、いじめにどのような影響をあたえるのでしょうか?
多くの学校で採用されている「いじめ防止基本方針」の中には、加害者だけではなく観衆や傍観者の立場にいる児童・生徒もまた、いじめに大きい影響を与えることが記載されています。
いじめに加担して、一緒に、悪口を言ったり、いじめを面白がって見ている“観衆”がいます。これはいじめを積極的に認め、促進する役割を担っていることになります。いじめに大きなイエスというサインを送り、いじめやすい空気をつくり、エスカレートさせていきます。
いじめを見て見ぬふりをする“傍観者”は暗黙的にそれを認め促進する役割を担うことがあります。また、被害者にとっては傍観者も加害者のように見えることもありますね。
もちろん、気持ちの面で観衆と傍観者では大きく異なります。けれど、いじめに関わっていなかったとしても、観衆と傍観者が、連鎖して、いじめを許容する空気をつくって、いじめられた子に大きな精神的なダメージを与えるということは理解するべきですね。
親としては、いじめられているお子さんと仲良くして、我が子が次のいじめのターゲットになるのでは?という心配もあるのではないでしょうか?
あるアンケートでは、親は我が子のクラスでいじめがあったときに、傍観者になっても、いじめられるよりはいいと答えた方が75%という結果がありました。
親が、我が子が、仲間外れにされたり、仕返しされたら怖いかと、傍観者でいることをしょうがないと認めることはよいことでしょうか?
いじめは許されない行為という善悪の価値判断は、かわることはありませんが、親としての複雑な気持ちは我が子を思うがゆえですね。
けれど、我が子に、「関わってはいけない」という発言はNGですね。
親子で考え、子どもに考える余白やヒントを与えることが大切ですね。いじめは許されない行為という善悪の基準に学校も家庭もブレを生じさせないということが、いじめられている子、いじめている子、傍観者・観衆のすべての心を守ることになりますね。
今回のご相談のお子さんは、傍観者なのでしょうか?
今回の相談では、お子さんがお母さんに相談しています。それは、自分ひとりではどうすることもできなくて大人に助けを求めている、お母さんに相談するというアクションを起こしているので、いじめに加担するような傍観者ではないですね。
いじめがあることを親や先生に相談することはとても勇気のある行為ですね。
例えば、電車で高齢者や赤ちゃんを抱っこしているお母さんを見たときに、席を譲るか否かで悩み行動に移せなかったとい経験はありませんか?
同じ空間にたくさんの人がいると、率先して行動できません。なぜなら、自分が動かなくても誰かが動いてれるかもしれないし、目立ちたくないし、周りの視線が気になるということもあるでしょう。
いじめも同じです。さらに、いじめの場合は”チクった”ということで仕返しされる可能性もあります。たから、いじめの事実を先生や親に相談するというのは、本当に勇気のいる行為のですね。
なんでも話せるという親子関係には、親に話せばわかってくれる、守ってくれるという信頼の現れですね。
ご相談のお母さんは、お子さんに、まず、どうような言葉をかけるとよいのでしょうか?
誰でも、次は自分がいじめられると想ったら、仲間外れにされるのでは?と思ったら怖いよ。お母さんも、何もできないかもしれない。でも、あなたは何もできなかったんじゃない。どうしたらいいかたんだよね。いじめられている友達を思うあなたの優しい気持ちとお母さんに話してくれたことが、とても嬉しい。お母さんと一緒に考えよう。と声をかけてあげてください。
お子さんが何もできないことに苦しんでいるのは、人の心の痛みが分かる優しい気持ちがあるからです。このところと相談してくれた勇気をしっかりとほめてあげてください。
いじめられたお子さんの気持ちを考える優しさが大切ですね。
あるお母さんは、ご自身が傍観者の立場の友達からの一言で救われた経験をわが子に話されました。
小学校の時、お昼のお弁当の時間に、4人グループで仲良く食べていたのに、ある日、突然、3人が、グループにはいれないようにしたんですね。
その時に、帰り道、ある子が、「大丈夫?僕はどっちの味方でもないからね。」と声をかけられて、ほっとして、翌日、その子が、一緒に食べよう!と声をかけてくれた。
すごく勇気が言ったと思う。って。
勇気ある優しい行動ですね。わが子にも、優しい勇気ある子に成長してもらいたいですね。
勇気ある優しい子供が、逆にいじめられる、次のターゲットにならないためには、どうすればいいのでしょうか?
いじめ防止対策推進法では、子どもたちは、だれ一人としていじめで苦しい思いをすることがあってはならない、いじめは絶対に許されない。大人はいじめを受けている子供を救い、いじめを防止する責任があると定められていると定められています。
いじめを通報した人も、いじめられている子と同じように守られるのです。その事実を担任の先生に相談することは、いじめられている子を守ることになるという事実を伝えて、
いじめを誰が、いつ、どのようないじめをしているのか?ということを子供とメモにして、担任の先生に相談してみることを促してみてはどうでしょうか?
あるお母さんはわが子には傍観者にはなってほしくないと思われたそうです。なぜなら、クラスの中でいじめられて苦しんでいる子がいるのに、誰もそれを見て見ぬふりをする。
このまま大人になれば、善悪が分からない、いい大人にはならないと思って、わが子と向き合い、相談することをサポートしたと話されました。
担任の先生にいじめがあるという事実を子供が相談できない時には、わが子がいじめられている場合でなくても、今回のケースの場合親が相談してもいいのでしょうか?
本来は、いじめ解決の責任は担任の先生にあります。なかなか、先生に相談しにくいという子供たちの声もありますが、相談してもらえる信頼関係を築くことは教師側の責任ですね。
我が子のいじめでなくても、クラスにいじめがあるということを子供から聞いたと相談することは、子供にとっては、安心で安全な方法で、いじめられているお子さんの心や命を守ることでもありますね。
相談された学校として大切なことはなんでしょう?
誰からの相談なのか?その情報元が、いじめた側の子どもに絶対に明らかにらないようにすることですし、それを子どもや親にも約束することですね。
いじめられている子は、周りの生徒すべてが敵に見えるほど苦しんでいます。報告することが一番です。クラスメートがいるところで、話しかける勇気はなかなか持てなくても
帰り道に、そっと、大丈夫?僕は味方だよ。と一言声をかけることは、孤立する苦しい心を救う愛の行為です。
いじめは、愛の不在ですね。犯罪の予備軍ですね。
人間が動物と一番が違うところは、弱いものに対して、愛の心を持って、救いの手を差し伸べるところにあるんですね。
天使の世界は愛の心が中心です。愛とは、人に優しく、人に尽くし、弱いものを助けることです。苦しんでいる人をなぐさめ、助けることですね。
愛は知に勝るという言葉があります。勉強ができる人たちの世界の上にある、愛の世界。天使の心を子どもたちには育てたいと思います。
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